お金を使うと言う事は、他の本物の欲望を取り替えることで、そこで初めてその人は「自分が欲しかったのはお金ではなく、本物の欲望を遂げるための道具になるからお金が欲しかったのだ」と気付いたのです(p30)
「お金で買えないものはない」と言った人がいました。その考えに賛同する方も多くいらっしゃると思います。現に資本主義社会においては、その名の通り「資本」がなければ経済は成り立ちません。また、その一方で「世の中お金ではない」という意見もあります。討論の場では「世の中はお金がすべてだ」VS「世の中はお金がすべてではない」といった論争が繰り広げられることもあります。
私自身、二十歳で会社を創業して以来、ずっとお金と向き合ってきた人生でした。お金に苦労しましたし、お金で楽しい思いもしました。それだけに「お金とは何か」について随分と考えてきたものです。若いころは成功して大金を稼ぎたいと思っていましたし、商売を続けるうちに、「世の中お金ばかりが大切じゃない」と痛感することも多々ありました。同時期に起業した仲間で、早くに成功したことで大金を得ましたが、どんどん生活が派手になり、人付き合いも邪険になって、信じあえる仲間を失い、最終的には多くの借金を背負った方もいました。よく「お金が人を狂わせる」という話も聞きます。
五本能人生論によれば、お金は「欲望を遂げるための力道具」と定義しています。力のある道具ですから、とてつもないパワーを持っています。そのパワーは、良い方向にも悪い方向にも作用するパワーです。
経済力という力道具を手にすると、ほとんどの人は生活水準があがります。まず、衣食住が変わります。人間が生きる上で最低限必要な食事から、より美味しいもの、高価なもの、煌びやかなレストランでの食事…という風に水準があがっていきます。力道具は安楽本能と容易に結びつくからです。安楽本能から発する欲望を達成するために、力道具をどんどん使ってしまいます。自分でも気が付かないうちに、安楽本能のコップを充たすことばかりに人生が傾いてしまいます。「お金が人を狂わせる」というのは先人の経験則から生まれた言葉でしょうが、すなわち、力道具と安楽本能は絡みやすく危険である、という教訓だと思います。まさに「まぜるな危険!」と心に誓うべきです。
殆どが、安楽本能から発生する悦楽欲望を遂げるために使われ、それが癖になった人の人生は、他人にも迷惑をかける耽溺人生になるでしょう。(P86)
ところで、経済力という力道具を持ちながらも、安楽本能に傾くことなく、慈愛本能や信頼本能を発揮する方も多くいらっしゃいます。その方々を観察すると、お金よりもお金で買えないものを大切にしているように思います。お金で買えないものは人によってそれぞれ見解が分かれるのだと思いますが、私の場合は、まずは「家庭」です。いくらお金を出しても「家庭の安寧」は買えません。次に、「信頼し合う仲間」です。互いに尊重し合い積み重ねてきた時間の結晶であり、ちょっとやそっとじゃ揺るがない信頼関係はお金では買えません。お金という力道具は生きるためには必要ですが、お金で買えないものには、人間の尊厳があるのだと思います。
さて、お金という力道具は何に使うべきでしょうか。私が思うに、一つは「向上心」という欲求意識を充たすことに使ってみるのはいかがでしょうか。学びたい、経験したい、成長したい、という欲求意識は、本能のコップを満遍なく満たすための知能や知見を身に付けることに繋がります。逆境に陥っても耐え忍び、乗り越える策を見出すことができますし、楽境にあっても、向上心を持ち続ければ安楽に溺れることはありません。
二つ目は、慈愛本能や信頼本能を発揮するための道具として使うのはいかがでしょうか。人を愛すこと、動物や植物を大切にすること、弱者を労わること、人を信じること、人から信頼される人になること… こういったことにパワーを作用してみましょう。
皆様も経験があるかもしれません。弊社の社員でもよく見かけますが、社会人になって初めてもらった初任給で、親にプレゼントを買う方がいます。まさに慈愛本能を発揮する力道具の使い方ではありませんか。
試しにあなたが最も信頼する方や感謝をする方に、何か贈り物をしてみてはいかがでしょうか。せっかくですから感謝の手紙も添えて。
どんなことがおきるでしょうか。
きっと素晴らしい化学反応が起こるに違いありません。
このコラムを書いた人:杉山英治
企業ブランディング戦略構築コンサルタント。
薬師堂グループのCI構築に携わる過程で五本能人生論に出会い、「人間は何のために生きているのか?」という壮大なテーマの泥沼に陥る。
株式会社デザイントランスメディア 代表取締役。