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「愛とはなにか。愛の真実とは」



人を愛し、弱者を慈しみ労わり、仕事や趣味まで愛して生き甲斐にもする、この本能は実に美しい純粋の精神的欲望(神仏性欲望)の発生源です。(P99)

人は誰しも愛とは何かについて、深く思い悩んだことがあるのではないでしょうか。愛は求めるものでしょうか、与えるものでしょうか。家族愛と恋愛は異なるものでしょうか。永遠なる愛は存在するのでしょうか。人はなぜ愛を失い離縁するのでしょうか。


こう考えたことはありませんか。私とあなたの間に愛があるのかどうか。私とあなたの間にあったはずの愛が消えてしまったのではないか。このような愛の捉え方を英語で表現すれば、There is a love.となります。愛とは自然発生的に生まれ、いつのまにか存在したり、消えてしまったりするものであり、自らの意思でコントロールできないものだ、という考え方です。

五本能のうち、慈愛本能を満たすことが疎かになる理由は、愛というものをこのように捉えてしまっているからです。

五本能人生論によれば、愛とは無償で慈しむことであり、慈愛本能から発生する欲望は、すべての生物を慈しみたいという欲望であると定義しています。すなわち、愛とは自然発生的に存在するものではなく、人類一様に与えられた本能だったのです。そして、愛すること、慈しむことは、本能から発した純粋な欲望です。こう考えると「愛とは何か」という疑問の全てに合点がいきます。


1989年の初版以来、今もなお世界中で読まれ続けている人生哲学の名著である7つの習慣(スティーブン・R・コヴィー著)において、愛について次のように解説されています。
(ちなみに、7つの習慣は五本能人生論の哲学と通じることが多いです。弊社(デザイントランスメディア)におきましても、新入社員研修の教本として活用しています)

〜引用〜
「愛する気持ちがもうなくなったというのですね?」私は聞いた。
「そうです」と彼はきっぱり答える。
「子どもが三人もいるので、不安なんです。アドバイスをお願いします」
「奥さんを愛してください」と私は答えた。
「ですから、もうそんな気持ちはないんです」
「だから、奥さんを愛してください」
「先生はわかっていません。私にはもう、愛という気持ちはないんです」
「だから、奥さんを愛するのです。そうした気持ちがないのなら、奥さんを愛する理由になるじゃないですか」
「でも、愛(Love)を感じないのに、どうやって愛するんです?」
「いいですか、愛(Love)は動詞なのです。愛という気持ちは、愛するという行動から得られる果実です。ですから奥さんを愛する。奥さんに奉仕する。犠牲を払う。奥さんの話を聴いて、共感し、理解する。感謝の気持ちを表す。奥さんを認める。そうしてみてはいかがです?」

〜引用ここまで〜

愛は自然に生まれるものではなく、本能であり、本能から生まれる欲望であり、愛することによって慈愛本能が満たされます。このことに一日でも早く気づき、自ら主体的に人を愛し、慈しむことに挑戦すれば、今まで疎かにしがちだった慈愛本能を満たすことができ、人生は豊かに潤うのではないでしょうか。



人間は数十年の限られた人生を、月日と共に老い古びていくのですから、心中には常に孤独の寂しさを持っています。その孤独の心に潤いを与えてくれるのが「慈愛本能」で、動物や植物を慈しむ心と、妻子や友人知己の間に育つ愛情とは同根のもので、人間はほかの四本能のすべてに慈愛を絡めて、人生を潤わせます。(p99)
人間が生まれ持った崇高な本能である慈愛本能を疎かにすることを、今日からやめましょう。たった今から目の前にあるものを愛してみましょう。家族を愛し、仲間を愛し、同僚を愛しましょう。この地球、自然、動物たちに感謝をし、小さなことでも良いので、自分ができることを始めましょう。

繰り返しになりますが、愛は名詞ではなく、動詞です。愛とは人間の本能であり本能から発する欲望なのです。






このコラムを書いた人:杉山英治

企業ブランディング戦略構築コンサルタント。
薬師堂グループのCI構築に携わる過程で五本能人生論に出会い、「人間は何のために生きているのか?」という壮大なテーマの泥沼に陥る。
株式会社デザイントランスメディア 代表取締役。



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