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「人間が何のために生きているのかを正確に理解する」とは



人間が(人類が)何のために生きているのか、或いは生かされているのかを正確に理解する事は人生の意義を知ること(P21)

人は順風満帆に人生を謳歌しているとき、「人間が何のために生きているのか」などと考えることは滅多にありません。
たいていは人生に行き詰った時や大変な失敗をしてしまった時ではないでしょうか。
自分の存在意義を見失ってはじめて、「私は何のために生きているのだろう」と思い悩むものです。

私はこれまでの人生において、「自分は何のために生きているのだろう」という疑問をもったことが二度あります。
一度目は小学校三年生の頃、ひどい虐めを受けていた時でした。二度目は30歳の時でした。
私は既に起業をしていましたが、創業以来支えてくれた社員が退職し、信頼していた顧客から裏切られ、プライベートでも離婚をしました。
会社は危機的状況にありながら、心の支えであった家族も失い、自分の存在価値を見失いました。
「私は誰一人として幸せにすることが出来ない人間だ」と自分を呪いました。
資金繰りに奔走する傍ら、人の声が聞こえていないと知らず知らずのうちに涙が出てしまうので、ラジオを大音量にして車を走らせました。
自殺をする勇気はありませんでしたが、もし、このまま事故にあって死ぬようなことになっても、むしろそれでいいと思っていました。
不思議なもので、人間は思ったことが現実になります。
私が運転する車が福岡市内を走る都市高速道路でスリップし、2回転半スピンして中央分離帯に激突しました。
それが、人生で初めて死を意識した瞬間でした。
車は大破しましたが、奇跡的に身体は軽傷で済みました。

事故を経験した頃から人生が違って見え始めました。
それまでは、毎日がなんとなく偶然的に折り重なって、行く当ての分からない人生を積み上げていくイメージ、それが人生なのか生命なのか…、
あっちに行ったり、こっちに行ったり、行き当たりばったりの雑な人生でした。
しかし、実際は、人には最期の瞬間が確実にあり、その瞬間に向かって広く長い一本道が繋がっていて、その道を一歩ずつ歩いている、これが人生なのだと気づきました。
偶然だったのか必然だったのか、奇しくも人生最期の瞬間を意識したことによって、生まれて初めて人生を俯瞰してみることができました。
まかり間違っていたら命を落とすところでしたから、もっと若い頃に五本能人生論に出会いたかったと恨めしく思います。


五本能人生論によれば、「人間は欲望を充たすために生きている」のでありますが、その理由を知ること、または正確に理解しようと探求することが運命を開拓して良い人生を送ることに繋がります。

「人間が何のために生きているのか」を正確に理解するとは、人生の「意義=目的(ゴール)」を理解することです。人生の最期を想像すると、そこから、私たちが生きているこの瞬間まで道が繋がって見えてきます。人生の目的が見えれば、自分が今どこにいるかが分かります。
そうすれば、不足していること、努力すべきことが自ずと分かってくるものです。
「人間が何のために生きているのか」を正確に理解しようと探求し続ければ、すなわち、一日一日を大切に過ごすことができるようになります。


人生の意義を知った上で処世すれば、先ず自分自身の生き甲斐を確立し易くなり、辛抱や努力にも張りが出てきますし、人間関係や家庭は円満になり、勤務先では人格存在価値が上がるでしょう。(P21)

人生の目的地を思い描きながら、今日という日を大切に生きることができれば、人間関係、家庭、仕事、趣味、あらゆることが充実するでしょう。
そして、人生を全うする頃には欲望が正しく充たされているに違いありません。




このコラムを書いた人:杉山英治

企業ブランディング戦略構築コンサルタント。
薬師堂グループのCI構築に携わる過程で五本能人生論に出会い、「人間は何のために生きているのか?」という壮大なテーマの泥沼に陥る。
株式会社デザイントランスメディア 代表取締役。



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