馬油と梅雲丹の歴史

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馬油の歴史HISTORY

馬油の歴史[前編]
馬の油の由来

馬の油の薬効は、そもそも中国にそのルーツを辿ることができます。
5~6世紀頃の中国の医師、陶弘景の著書『名医別録』には「馬の油は髪を生ず」と書かれています。
また16世紀頃の同じ中国の医師、李時珍が著した薬物学書『本草綱目』には、「シミ・ソバカスの除去、肌荒れ治療、筋肉痙攣の緩和」などの馬の油の効果が書き記してあり、これらの書物から、5~6世紀頃の中国では、すでに馬の油が薬用として使われていたものと推測できます。

では、日本で馬の油が皮膚のトラブルに使われはじめたのは
いつ頃からだったのでしょうか?

それを伝える明確な文献が実はありません。
ただ、奈良時代、日本に渡来した唐の名僧「鑑真和尚」の一行が薩摩に上陸して奈良の都に北上する途中、大宰府で馬の油の効用を伝承していったと、語り継がれてきました。
昔から、馬とかかわりの深い大宰府・筑紫野地方では、馬肉を食する習慣があり、「火傷や怪我には馬の油が一番」と、噂されていました。

馬の油の由来

馬油の歴史[中編]
日本の馬油は針摺で生まれた1

薬師堂グループ3社の創業者、直江昶(なおえ とおる)は、昭和2年1月15日、現在の福岡市内に生まれました。第二次世界大戦を体験した後、昭和21年秋に筑紫野市針摺(現弊社所在地)に一家で移り住みました。

日本の馬油は針摺で生まれた

戦前、昶の父は精密機械や合成樹脂成型品を製造する会社を経営していましたが、戦火でほとんどの工場設備を失ってしまいました。そのため油脂機械の製造などで事業を再建しようと、この地に移り住んだわけです。

昶も二人の兄と共に、父の経営する会社で働くことになりました。
10町歩(約3万坪)もある移住地は、大部分が杉・檜の森で、中央部には朽ちかけた山寺などもある人里離れた僻地でした。
食料不足の折から、樹木のない場所を開墾して芋畑にし、食料生産をしながらの再出発でした。

筑紫野市中心部には、二日市町という名の町があります。
その昔、毎月2日に牛馬の市場が開かれるため、その名がついたそうですが、その名残で近隣には牛馬を飼育する農家も多く、極端な食料不足の世情の中で、肉の闇商売も身近に噂されていました。

そんな昭和23年の暮れ、無断で敷地内に侵入して馬をさばいている人を昶が発見しましたが、近所の農家の人だったので、事を荒立てずに注意するだけに止めました。
密殺を見つけられ照れ隠しの弁だったのでしょうが、その人はお詫びにと黄色い脂肪のついた一塊の馬肉をおいていきました。

その時聞いた一言が、後に馬の油を日本で初めて 開発するヒントになったのです。

日本の馬油は針摺で生まれた

馬油の歴史[後編]
日本の馬油は針摺で生まれた2

それから数日後、昶がいつものように工場内の鋳鉄場で働いていたときのことです。何かに躓いて転ぶまいと左手をついた先は、真っ赤に焼けた大鉄釜だったのです。

この時、大火傷を負った昶の左手を救ったのは数日前にもらった馬の脂肪でした。偶然とはいえ運命的な馬の油との出会いでした。

重症の大火傷を負うと「熱い」などを通り越した激痛で、呼吸をするのがやっとになります。その時、一緒に馬肉を食べた仲間が残っていた馬肉の脂肪をすぐに塗ってくれましたが、しばらくはうずくまったまま動くこともできませんでした。

日本の馬油は針摺で生まれた

正気を取り戻した昶は、「この大火傷はどうせ医者でも治せまい。ならば、火傷に効くという馬肉の脂肪をこのまま試してみよう」と考えました。

昶はそれから毎日、馬肉の脂肪をたっぷりと掌に塗り、火傷の治療を続けました。やがて2ヶ月が過ぎた頃、いつものように掌に張り付いたガーゼの上から馬の油を塗り足そうと包帯を外したところ、掌が痒くて仕方なかったのです。

日本の馬油は針摺で生まれた

日本の馬油は針摺で生まれた

あまりの痒さに恐る恐るガーゼを剥いでみたところ、 焼け焦げて真っ黒だった掌の皮は、かさぶたが剥げるようにガーゼといっしょに剥がれ、その下にはピンク色のきれいな皮膚が現れました。
なんとそこには、うっすらと指紋までできあがっていたのです。

これを見た昶は、馬肉の脂肪の効力を確信しました。そして、3ヶ月も過ぎた頃には全く傷跡も残らず完治していました。

それ以後、昶の頭から馬の油の不思議が消えたことはなく、仕事の傍らで、馬の油の実験研究を始めました。
研究には大変な時間を費やしましたが、 中国でも知られていなかった馬の油の効能を次々と発見し、皮膚保護剤として商品化する事業計画を立てたのです。

ところがこれまでに馬肉の脂肪が皮膚保護剤として研究されたり使用されたりした前例がないという理由で、 昶の十分な研究結果に対しても、厚生省は皮膚保護剤の許可申請を受理しよう とはしませんでした。
やむなく「ご自由にお使いください」というフレーズで、当初は食用油脂として販売することにし、 食品製造会社(有)筑紫野物産研究所を設立、馬の油の製造を開始しました。

昶はこのとき初めて馬肉の脂肪に「馬油(ばあゆ)」という商品名をつけました。
(今でも百貨店の食品売り場に薬師堂の馬油が置いてあるのは、こういう経緯からです)

昭和46年、こうして「馬油」は筑紫野市針摺という田舎で、日本で初めて商品化されました。
その後、昶は「江戸から明治時代にかけて、香具師(やし)が販売していたガマの油は、実は馬の油だったに違いない」と発表し、「馬油」の評判は口コミで全国各地に広がっていきました。

「馬油」登録商標 第2712496号