
私たち催事担当者は、北は北海道から南は沖縄まで全国各地に出向きます。
現地まで飛行機を利用することが多く、本社がある福岡から地方へ向かうとなれば、その便数はあまり多くはありません。
ですので、飛行機の到着遅れは、出発時間の遅延に直結します。
空港へのアクセスはリムジンバスのお世話になることもあるので、道路交通情報にも気を配り早め早めの移動を心掛けています。
通常、一週間程度の販売を終えた翌日に次の催事があればそのまま現地に向かい、なければ福岡に戻るわけですが、後者の場合が多いため、地方に出向いた際には、時間を調整してちょっとした名所やお店周りを楽しむこともあります。
また、販売期間中の休憩時間や宿泊ホテルとデパートの往来では、少し早起きして散策したりもします。
去年、ちょっとしたきっかけがあり石や地層、地質に興味を持ち始め、
最近は催事出張に行く前に山や地形、地質や地層、鉱物など調べていくことがあります。
今回、自然が豊かな岩手県にあるデパートを訪れた際、近隣にある裁判所の中に巨大な花崗岩(かこうがん)の狭い割れ目から、樹齢350~400年といわれるエドヒガンザクラで国の天然記念物に指定されている通称「石割桜(いしわりざくら)」があると知り、見にいきたいと思っていました。
その日は小春日和で青い空が澄み渡りとてもきれいな朝でした。
少し早起きをしていつもの道を遠回り。ようやくたどり着いた裁判所の中にある「石割桜」が見事に石を割って自生している姿に圧倒されました。太い幹の枝先には桜が満開でしばらく上を見上げて佇んで(たたずんで)しまうくらいでした。
福岡を発つときには既に葉桜でしたので日本列島桜前線を追いかける形となり、おかげで人生初の二度花見が出来ました。
また、百貨店へ向かう途中にあった城跡の石垣(花崗岩)も見ることができ、歴史と岩手の方々の盛岡城に対する愛情とリスペクトを感じることもできました。
そして、一週間の催事販売を終えて福岡に戻る際、嬉しい出会いがあったのです。

今回の出張先では久慈琥珀が有名で下調べをしていたのですが、そこまで時間が取れず半ばあきらめていたところ、リムジンバスの乗り場横にある駅ビルにお昼を買おうと立ち寄ると、久慈琥珀のショーケースが目に留まりました。
乗車時間まで余裕があることを確認した後、普段プライベートで来れる距離ではないこともあり、思い切って店員さんへ
「見るだけでも構いませんか?」と声をかけると
「どうぞ、どうぞ」と親しみを感じる第一声と表情から、こちらは安堵感を覚えます。
最近、地層などに関心を寄せるようになったことや、琥珀も古い地層からできる貴重なものですごく興味があることを伝えると、店員さんは琥珀のことを丁寧に色々教えてくださいました。
久慈琥珀の特徴として、約9000万年前のもので商業価値として用いられるものとして最も古く、色は多彩で約250色あるといわれているそうです。
そんなやり取りをしていると、琥珀の工芸品を初めて触らせてもらえることに。
手に取ると温かみがあり、硬いのに柔らかく密着する不思議な感覚。
光に透かしてみれば黒色から赤みのある茶褐色への変化が何とも言えない風合いで、白亜紀時代のロマンを感じずにはいられませんでした。
そうこうしていると、
店員さんは会話の間を上手に酌んで「こちらにはお仕事で?」とお尋ねするので
「はい、昨日まで物産展に出店して、馬油を販売していました」と答えると
店員さんは
「私は、バニラの香りの馬油を使っています。以前物産展で買いました」
バニラの香り?物産展?と聞けば恐らくソンバーユと直感。
なんと、薬師堂のお客様だったのです。
(とっさに琥珀が繋げてくれたご縁だと感じ)
そこから、今度は私が馬油の様々な使い方をお話しすることに(笑)
琥珀と馬油の意外な共通点で、宮沢賢治さんと繋がりがあるという発見もありました。
というのも
宮沢賢治さんは石や琥珀をこよなく愛し、生前残した作品の中には30数カ所も琥珀の文字が登場するそうです。
一方、馬油の生みの親で当社の創業者 直江 昶(とおる)は、幼少の頃、宮沢賢治さんの物語が大好きでした。
その作品の一つ『北守将軍と3人兄弟の医者』に登場する将軍の名前が「ソンバーユー」で、将軍が患っていた摩訶不思議な病が3人兄弟の医者の診察を経て快復していくその様が、馬油の不思議な効能、効果と重なったこともあって、ブランド名「ソンバーユ」が誕生したからです。
そのことを店員さんへ伝えると
琥珀と馬油の話に花が咲き、盛り上がりました(笑)
その後、店を出てバスを待っている合間に久慈琥珀のサイトをスマホで検索していたら、
素敵なネックレスが目に留まりました。
急いでお店に戻り店員さんにお尋ねすると、同じ商品があるとのこと。
現物を見て、手頃なお値段だったこともあり即決で購入しました。

このネックレスには…
東北の地で出会った催事販売中にご来店くださった方々や百貨店の皆さん、販売を二人三脚でお手伝いいただいたマネキンさん、さらには久慈琥珀店の店員さんなどの思い出が沢山詰まっています。
私は、この琥珀を一生大切にしていきたいと思いました。
馬油も琥珀も、長い時間をかけて自然が育んだ、かけがえのない恵みです。
年数の差こそありますが、双方時間をかけて作られ、語り継がれてきました。
一見関係ないと思えるものでも、偶然の出会いや会話の中から思い掛けないつながりが見えてくることがあります。
今回の経験を通じて、人との出会いや自然とのふれあいは、日々の気づきや学びにつながることを改めて実感しました。
これからも全国の百貨店へ出向いて、馬油と梅雲丹の良さを伝えながら、
お一人でも多くの方と出会い、学ばせてもらい、仕事を通じて充実した人生を送りたい思います。
株式会社薬師堂
催事スタッフ
橋本 智恵子
現地まで飛行機を利用することが多く、本社がある福岡から地方へ向かうとなれば、その便数はあまり多くはありません。
ですので、飛行機の到着遅れは、出発時間の遅延に直結します。
空港へのアクセスはリムジンバスのお世話になることもあるので、道路交通情報にも気を配り早め早めの移動を心掛けています。
通常、一週間程度の販売を終えた翌日に次の催事があればそのまま現地に向かい、なければ福岡に戻るわけですが、後者の場合が多いため、地方に出向いた際には、時間を調整してちょっとした名所やお店周りを楽しむこともあります。
また、販売期間中の休憩時間や宿泊ホテルとデパートの往来では、少し早起きして散策したりもします。
去年、ちょっとしたきっかけがあり石や地層、地質に興味を持ち始め、
最近は催事出張に行く前に山や地形、地質や地層、鉱物など調べていくことがあります。
今回、自然が豊かな岩手県にあるデパートを訪れた際、近隣にある裁判所の中に巨大な花崗岩(かこうがん)の狭い割れ目から、樹齢350~400年といわれるエドヒガンザクラで国の天然記念物に指定されている通称「石割桜(いしわりざくら)」があると知り、見にいきたいと思っていました。
その日は小春日和で青い空が澄み渡りとてもきれいな朝でした。
少し早起きをしていつもの道を遠回り。ようやくたどり着いた裁判所の中にある「石割桜」が見事に石を割って自生している姿に圧倒されました。太い幹の枝先には桜が満開でしばらく上を見上げて佇んで(たたずんで)しまうくらいでした。
福岡を発つときには既に葉桜でしたので日本列島桜前線を追いかける形となり、おかげで人生初の二度花見が出来ました。
また、百貨店へ向かう途中にあった城跡の石垣(花崗岩)も見ることができ、歴史と岩手の方々の盛岡城に対する愛情とリスペクトを感じることもできました。
そして、一週間の催事販売を終えて福岡に戻る際、嬉しい出会いがあったのです。

今回の出張先では久慈琥珀が有名で下調べをしていたのですが、そこまで時間が取れず半ばあきらめていたところ、リムジンバスの乗り場横にある駅ビルにお昼を買おうと立ち寄ると、久慈琥珀のショーケースが目に留まりました。
乗車時間まで余裕があることを確認した後、普段プライベートで来れる距離ではないこともあり、思い切って店員さんへ
「見るだけでも構いませんか?」と声をかけると
「どうぞ、どうぞ」と親しみを感じる第一声と表情から、こちらは安堵感を覚えます。
最近、地層などに関心を寄せるようになったことや、琥珀も古い地層からできる貴重なものですごく興味があることを伝えると、店員さんは琥珀のことを丁寧に色々教えてくださいました。
久慈琥珀の特徴として、約9000万年前のもので商業価値として用いられるものとして最も古く、色は多彩で約250色あるといわれているそうです。
そんなやり取りをしていると、琥珀の工芸品を初めて触らせてもらえることに。
手に取ると温かみがあり、硬いのに柔らかく密着する不思議な感覚。
光に透かしてみれば黒色から赤みのある茶褐色への変化が何とも言えない風合いで、白亜紀時代のロマンを感じずにはいられませんでした。
そうこうしていると、
店員さんは会話の間を上手に酌んで「こちらにはお仕事で?」とお尋ねするので
「はい、昨日まで物産展に出店して、馬油を販売していました」と答えると
店員さんは
「私は、バニラの香りの馬油を使っています。以前物産展で買いました」
バニラの香り?物産展?と聞けば恐らくソンバーユと直感。
なんと、薬師堂のお客様だったのです。
(とっさに琥珀が繋げてくれたご縁だと感じ)
そこから、今度は私が馬油の様々な使い方をお話しすることに(笑)
琥珀と馬油の意外な共通点で、宮沢賢治さんと繋がりがあるという発見もありました。
というのも
宮沢賢治さんは石や琥珀をこよなく愛し、生前残した作品の中には30数カ所も琥珀の文字が登場するそうです。
一方、馬油の生みの親で当社の創業者 直江 昶(とおる)は、幼少の頃、宮沢賢治さんの物語が大好きでした。
その作品の一つ『北守将軍と3人兄弟の医者』に登場する将軍の名前が「ソンバーユー」で、将軍が患っていた摩訶不思議な病が3人兄弟の医者の診察を経て快復していくその様が、馬油の不思議な効能、効果と重なったこともあって、ブランド名「ソンバーユ」が誕生したからです。
そのことを店員さんへ伝えると
琥珀と馬油の話に花が咲き、盛り上がりました(笑)
その後、店を出てバスを待っている合間に久慈琥珀のサイトをスマホで検索していたら、
素敵なネックレスが目に留まりました。
急いでお店に戻り店員さんにお尋ねすると、同じ商品があるとのこと。
現物を見て、手頃なお値段だったこともあり即決で購入しました。

このネックレスには…
東北の地で出会った催事販売中にご来店くださった方々や百貨店の皆さん、販売を二人三脚でお手伝いいただいたマネキンさん、さらには久慈琥珀店の店員さんなどの思い出が沢山詰まっています。
私は、この琥珀を一生大切にしていきたいと思いました。
馬油も琥珀も、長い時間をかけて自然が育んだ、かけがえのない恵みです。
年数の差こそありますが、双方時間をかけて作られ、語り継がれてきました。
一見関係ないと思えるものでも、偶然の出会いや会話の中から思い掛けないつながりが見えてくることがあります。
今回の経験を通じて、人との出会いや自然とのふれあいは、日々の気づきや学びにつながることを改めて実感しました。
これからも全国の百貨店へ出向いて、馬油と梅雲丹の良さを伝えながら、
お一人でも多くの方と出会い、学ばせてもらい、仕事を通じて充実した人生を送りたい思います。
株式会社薬師堂
催事スタッフ
橋本 智恵子