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馬油の歴史【後編】
日本の馬油は針摺で生まれた2
それから数日後、昶がいつものように工場内の鋳鉄場で働いていたときのことです。
何かに躓いて転ぶまいと左手をついた先は、真っ赤に焼けた大鉄釜だったのです。
この時、大火傷を負った昶の左手を救ったのは数日前にもらった馬の脂肪でした。
偶然とはいえ運命的な馬の油との出会いでした。
重症の大火傷を負うと「熱い」などを通り越した激痛で、呼吸をするのがやっとになります。 その時、一緒に馬肉を食べた仲間が残っていた馬肉の脂肪をすぐに塗ってくれましたが、しばらくはうずくまったまま動くこともできませんでした。
正気を取り戻した昶は、「この大火傷はどうせ医者でも治せまい。ならば、火傷に効くという馬肉の脂肪をこのまま試してみよう」と考えました。
昶はそれから毎日、馬肉の脂肪をたっぷりと掌に塗り、火傷の治療を続けました。 やがて2ヶ月が過ぎた頃、いつものように掌に張り付いたガーゼの上から馬の油を塗り足そうと包帯を外したところ、掌が痒くて仕方なかったのです。
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あまりの痒さに恐る恐るガーゼを剥いでみたところ、 焼け焦げて真っ黒だった掌の皮は、かさぶたが剥げるようにガーゼといっしょに剥がれ、その下にはピンク色のきれいな皮膚が現れました。
なんとそこには、うっすらと指紋までできあがって いたのです。
これを見た昶は、馬肉の脂肪の効力を確信しました。そして、3ヶ月も過ぎた頃には全く傷跡も残 らず完治していました。 |
それ以後、昶の頭から馬の油の不思議が消えたことはなく、仕事の傍らで、馬の油の実験研究を始めました。
研究には大変な時間を費やしましたが、 中国でも知られていなかった馬の油の効能を次々と発見し、皮膚保護剤として商品化する事業計画を立てたのです。
ところがこれまでに馬肉の脂肪が皮膚保護剤として研究されたり使用されたりした前例がないという理由で、 昶の十分な研究結果に対しても、厚生省は皮膚保護剤の許可申請を受理しよう
とはしませんでした。
やむなく「ご自由にお使いください」というフレーズで、当初は食用油脂として販売することにし、 食品製造会社(有)筑紫野物産研究所を設立、馬の油の製造を開始しました。
昶はこのとき初めて馬肉の脂肪に「馬油(ばあゆ)」という商品名をつけました。
(今でも百貨店の食品売り場に薬師堂の馬油が置いてあるのは、こういう経緯からです)
昭和46年、こうして「馬油」は筑紫野市針摺という田舎で、日本で初めて商品化されました。
その後、昶は「江戸から明治時代にかけて、香具師(やし)が販売していたガマの油は、実は馬の油だったに違いない」と発表し、「馬油」の評判は口コミで全国各地に広がっていきました。
「馬油」登録商標 第2712496号
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