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馬油と梅雲丹の歴史
馬油の歴史 【前編】 【中編】 【後編】   ・梅雲丹の歴史  ・日本でも世界でもはじめて

馬油の歴史【中編】

日本の馬油は針摺で生まれた1

薬師堂グループ3社の創業者、直江昶(なおえ とおる)は、昭和2年1月15日、現在の福岡市内に生まれました。

第二次世界大戦を体験した後、昭和21年秋に筑紫野市針摺(現弊社所在地)に一家で移り住みました。

戦前、昶の父は精密機械や合成樹脂成型品を製造する会社を経営していましたが、戦火でほとんどの工場設備を失ってしまいました。そのため油脂機械の製造などで事業を再建しようと、この地に移り住んだわけです。

昶も二人の兄と共に、父の経営する会社で働くことになりました。
10町歩(約3万坪)もある移住地は、大部分が杉・檜の森で、中央部には朽ちかけた山寺などもある人里離れた僻地でした。
食料不足の折から、樹木のない場所を開墾して芋畑にし、食料生産をしながらの再出発でした。

筑紫野市中心部には、二日市町という名の町があります。
その昔、毎月2日に牛馬の市場が開かれるため、その名がついたそうですが、その名残で近隣には牛馬を飼育する農家も多く、極端な食料不足の世情の中で、肉の闇商売も身近に噂されていま した。

そんな昭和23年の暮れ、無断で敷地内に侵入して馬をさばいている人を昶が発見しましたが、近所の農家の人だったので、事を荒立てずに注意するだけに止めました。
密殺を見つけられ照れ隠しの弁だったのでしょうが、その人はお詫びにと黄色い脂肪のついた一塊の馬肉をおいていきました。

その時聞いた一言が、後に馬の油を日本で初めて 開発するヒントになったのです。

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